YOHAKU
余白
YOHAKU 余白とは – 空に宿る美しさ
🌙日本の美意識「余白(YOHAKU)」とは
日本の美意識には「余白(YOHAKU)」という考え方があります。
「空」であることは、「無」ではなく、可能性に満ちた「空間」。
そこには、人々の思いや祈り、そして、物語の空間があるのです。
🌛余白の文化背景
• 禅の「無」
• 和歌の「間(ま)」
• 書道・茶道の「空白を活かす美」
• 武道の「間合い」
これらには、日本人が大切にしてきた、
完全に満たさないで、空けておくという、
「心の余韻」、
つまり、余白という「完成されない美」があるのです。
見る人、味わう人の感性を受け入れる空間とも言えます。
🌜モナカが余白である理由
「包む」、「秘める」、「内に宿す」
• モナカは、二枚の皮でそっと中身を包み込みます。
• 外からは、中に何が入っているのかが分かりません。
• それはまるで、人の心や願いのような、目に見えないものが内に宿る場所。
この感覚は、「余白(YOHAKU)」の哲学と深くつながっています。
• 外側の「形」= 完成された美
• 内側の「中身」= 個人の祈り、願い、創造性
• それらを包み込む空間 = 余白
余白は、「見えないものを大切にする美」の器とも言えます。
🌙YOHAKUの未来
私たちは、「YOHAKU(余白)」を通して、
世界の人々が、それぞれの内なる想いを包み込める場を提供します。
モナカは、食べるアートとして、
あなた自身の余白を形にする「器」です。
日本人にとって「余白」は、
単なる空っぽの空間ではありません。
それは「豊かな可能性」そのものなのです。
🌛禅の「無」- 空っぽだからこそ、すべてを包み込む
禅でいう「無」は何もないのではなく、「何でもあり得る状態」を意味します。
・コップが空だから水を注げる。
・心が空だから新しい気づきが生まれる。
固定観念や先入観を手放した先に感じる「無」は、
自分の内にある自由と創造性を手に入れる「空間」とも言えます。
庭石と庭石の間にある小さな砂利が空間を演出するように、
あたかも「何もない」空間が、石の美しさを際立たせ、
見る人の心に静寂と調和をもたらしてくれるのです。
🌜和歌の「間(ま)」 – 言葉の向こうにある感情
和歌の美しさは、言葉に込められた意味だけでなく、
「言葉と言葉の間にある感情」から生まれてきます。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山
(持統天皇、645年 – 702年)
この歌で作者が本当に伝えたかったのは、
「夏が来た」ということではなく、
時の流れへの感慨、自然への愛おしさ、
そして言葉にできない「心の空間にある感情」です。
よって、読み手は、歌の「行間」を自分の体験と重ね合わせて、
作者以上に深い感動を味わうことができるのです。
🌙書道・茶道の「空白を活かす美」 – 引き算の芸術
・書道の余白
一枚の紙に、筆で描かれた文字。
文字の「周りの空間」によって、文字の持つ美が際立ちます。
空白があるからこそ、文字が生き生きと躍動して見えるのです。
墨の濃淡、筆の勢い、そして何より「書かなかった部分」が、
作品全体に息吹を与えてくれるのです。
・茶道の間
茶室に入る瞬間の静寂。
お茶を点てる音。
器を持つ手の動き。
すべての「間」が、参加者の心を整え、
今この瞬間への集中を促します。
急がない。埋めない。
その「ゆとり」こそが、真の豊かさを生み出してくれます。
🌛武道の「間合い」 – 生死の堺にある空間の美学
剣道や柔道でいう「間合い」は、単なる相手との距離ではありません。
それは「機会」、「タイミング」、「心の状態」など、
すべてを含んだ、「動的な空間」です。
相手との間に適切な距離を保つ「間合い」。
• 攻撃の機会を見極める
• 相手の動きを読む
• 自分の心を整える
この「間合い」を制する者が、真の強さを手に入れられるのです。
🌜現代に生きる「余白の智慧」
現代は「詰め込む文化」。
スケジュール、SNSから流れる情報などが、
沈黙という時間と空間に詰め込まれています。
だけれども、日本の伝統はこう教えてくれます。
「余白こそ、人生を豊かにする」
• 会話の沈黙を恐れず、言葉の余韻を味わう。
• 部屋に空間を残し、心にも新しい可能性を空ける。
• 忙しい日々に、意識して何もしない時間をつくる。
何もしないその瞬間こそが、
豊かさの源であり、心の余裕を育み、
遊び心が生まれます。
「余白は未完成の美」
余白にあなたの感性が加わることで、
あなただけの美しさが生まれます。
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